石井一孝 ・ 沢 知恵 ライブ2000
石井一孝の母校、都立両国高校 同窓会「淡交会」主催のライブが下記の日程で行われます。本来は会員向けのライブですが ファンの皆様にもチケットが提供される事となりました。平日の開催ですが 当日券も用意されているそうですので お仕事帰りにぜひどうぞ。
また、今回は淡交会のご好意により 会誌「淡交会報」第44号(1999年12月発行)より、インタビュー記事を転載させていただきました。ありがとうございました。
日時:2000年2月29日(火) 18:00開場/18:50開演
場所:東京平安閣 03-3636-3333
JR総武線 亀戸駅西口下車 徒歩5分
東京都江東区亀戸1-43-22
入場料:3,000円 開演前に 軽食・飲物あり
申込み方法:郵便局から郵便振替で 一枚あたり3,000円を送金してください。(手数料70円)
振替口座番号 00180-4-34200
加入者名 淡交会
通信欄 「KF」と記入、購入枚数を明記し 22日までにお振込みください。
入金確認後、払込住所氏名欄記入の住所に送付。
なお、淡交会会員の方は 直接淡交会に お問い合わせください。
「淡交会報」第44号(1999年12月発行)より
インタビュー・シリーズ
歌手・俳優 石井 一孝さん (83回)
歌手 沢 友恵さん
(87回)
淡交会では、二〇〇〇年二月二十九日に、若い会員向けにコンサートを開催しますが、そのコンサートに出演する二人にインタビューしました。石井さんは、一九九六年に続いて二度目の登場です。
「歌手になりたい」 夢かなう
いきなり米国に留学
−−沢さんは87回のご卒業ですね。
沢 私は本当は86回のはずだったんですが、入学式の後そのまま成田空港に行ってアメリカに一年間留学したので、私だけ中学校の時の制服で入学式に出たんです。一年後帰ってきて、まだ帰国子女制度がちゃんとしてなくて、一年生からやり直して、四年間在学しました。
−−お生まれはどちらでしょうか。
沢 私は川崎で生まれて、すぐ韓国に行きました。そしてアメリカで二年過ごし、日本には小学校三年の終わりに来ました。江戸川区立小岩小学校、小岩一中を出て、両国高校に入学しました。
−−家族はどうされていますか。
沢 母は韓国人で、父母ともにキリスト教の牧師で宣教師をしていましたので、宣教活動のためアメリカなどに行きました。私はいつも家族と一緒にいたので、留学も一人で行ったわけではありません。
−−アメリカに一年間留学されていたのは、どちらかと言うと、ご両親の方の関係ですか。
沢 そうです。でも私自身は留学という形でしたので、いやいや行ったわけではなく、みんなで行こうかー、じゃあ行こうー、みたいな、サーカス一家!のノリです(笑)。そして揃って戻ってきて、小岩、柴又、と毎年引っ越しました。父が高二の時に亡くなり、その後、母が文京区の教会の牧師になり、二年前まで勤めていました。
−−今、何か国語を話すことができますか。
沢 今は、日本語と韓国語と英語の三か国語をやっと普通に話せるようになりました。家では全く民族教育をしませんし、アメリカへ行ったら家族全員が英語で話すし、韓国では韓国語、日本にいる時は日本語で話すのです。両親は、感情的になると、お互いの母国語で夫婦げんかしてましたけど(笑)。
−−「こころ」という歌はおじいさんの詩で?
沢 金車鳴という人の詩を祖父が翻訳したのです。祖父金素雲は韓国で文化勲章をもらった詩人で、韓国と日本の両方で生きて初めて韓日辞典をつくった人で、植民地下にあった朝鮮の詩、民謡、童謡を日本語に翻訳しました。岩波文庫で「朝鮮童謡選」など三冊出ています。
歌の初めはギター部
−−歌手になられたいきさつはどんなことですか。
沢 アメリカから帰ってきて高校に入って、最初山岳部に入ったんです。もてたくて、男の子のいっぱいいる部活に入りたくて。でも私はクリスチャンで、日曜日教会に礼拝に行かなくてはならない。山に行くのは日曜日なので、私は行けない。そこで三か月でやめました。次にギター部に入りましたが、当時バンドブームで、猫も杓子もバンドを組んでいました。集まったメンバーで、歌を歌うというのが私に回ってきて、生まれて初めてマイクを握って歌いました。でも実は念願の小さい頃から歌手になりたいと思っていた夢を高校の時に初めて実現したわけです。あの時に間違って私がギター部で歌を歌わなかったら、今絶対に歌ってないですね。
−−「後夜祭の女王」と言われていましたし、下級生の間でも有名でしたよ。
沢 そうなんですか。でも高校時代に、人生を間違えてしまったために、歌って拍手をもらうということの快感を覚えてしまったのは確かですね。オーディションとかコンクールに出て賞とかもらって。高二の夏に大きなコンテストで賞をもらった時にレコード会社にスカウトされたんですけれど、このままデビューするのでは私はすぐに使い捨てにされて終わると思ったので、「音楽とは何ぞや」ということを一回考えてみようと、東京芸大音楽学部楽理科に入りました。それで大学に入ってまた歌を歌いたいと思ってライブハウスで歌っていたらスカウトされたのです。そして、母は学費を出してくれなかったので、そのおこづかいかせぎに事務所と契約しました。大学一年の時でしたので、少し早過ぎました。・・・・・・「ギター部で人生間違えなかったら・・・」と必ず書いといて下さいね。
石井 沢さんのライブ見に行きたいね。
沢 あしたも、ディナーライブがあるんです。ぜひ一度来てください。年間八十回位やっています。
石井 結構やってますね。四日に一回位・・・・・・。
沢 でも、ミュージカルに比べたら全然少ない・・・・・・。
芝居のできる歌手でいたい
ひと月47回の公演も
石井 ハハハ。ひと月に四十七回というのをやったことがありますね。たまに、意識不明になります(笑)。
沢 大変ですよね。自分がなくなるってことはないですか、そんなスケジュールでこなしていく中で。
石井 ときには疲れることもありますけど、何といっても舞台は楽しいですからね。がんばれますね。
−−石井さんは両国のときのクラブはどちらですか。
石井 陸上部です。走り高跳びが得意でした。実は、何の芸能デビューもないまま何だかわからないけど受けたオーディションが「ミス・サイゴン」で、これがたまたま全国一般公募だったんです。普通ミュージカルはどこかの事務所に所属してないと、オーディションがあることすらわからないのですが、この時はロンドンからスタッフが来てやる一般公募だったので送ってみました。受かったんですけど。何だかわからないので「写るんです」で弟に家の前で撮ってもらった写真で、芸歴とか書く欄があるんだけど、無いんで「無し」と書いて、しょうがないから特技書いとくかって「特技走り高跳び」(笑)。それで「ミス・サイゴン」に受かった全キャストが初めて顔合わせする時に「フーズフー」というプロフィールのガイドみたいのがあって、みんな芸歴が真っ黒なんです。何々役、何々劇場で何か月とかね。おれ、真っ白。一人だけ。走り高跳びは書いてありましたけど(笑)。だから、みんなこの人何しに来たんだろう、間違っちゃったんじゃないか、きっと何かあるんじゃないか、何でこの人受かったんだろうと不思議がっていたんです。外人って変なの好きだからね。日本人はそういうの重んじないけど外人ってユニークだなと思うことが高得点になったりするんで、芸歴ないならない方がいいみたいなのがあったかもしれません。
−−大学は上智に行かれたわけですね。スペイン語学科で。
石井 そうです。スペインが好きだったので。
−−その時には舞台に対する関心はなかったのですか。
石井 演劇をやることは全く考えていませんでした。「ミス・サイゴン」受かるまでは。歌手になりたかったんです。十三歳から。フレディ・マーキュリーを最高に愛していました。フレディ・マーキュリーこそ目標なのです。そういうふうになりたくて。でも、家が葛飾の運送屋なんです。小さい頃から音楽教育を受けたことはないし、音楽大学へ行くチョイスは元々ないんですが、それでなくとも歌手になると言ったら絶対反対されますから。それは言わずに、でも大学には行きたかったので勉強ばかりしていました。世界史は鬼のように強かったですよ。両国でも一番でしたから。
−−スペインも行ったのですか。
石井 大学三年と四年の間の春休みに一か月行きました。
−−その頃にはもう舞台に対する興味は出て来ていましたか。
石井 いえ、まだ全然なかったです。ちょうどバブルの全盛期で大売り手市場で、受ければどこでも入社できるみたいな状況でしたが、ぼくは全く受けないで、アルバイトしながら曲をつくっていました。オーディションも落ちまくっていました。その時に、「ミス・サイゴン」のオーディションに受かったのです。それからいろいろ踊りのレッスンをしたりして、九十二年五月にデビューしました。演劇をやると思ったのは受かってからです。受かってからしばらくは「レ・ミゼラブル」とかに出ていても、演劇には明確なビジョンが見つけ出せませんでした。まあ、大げさに言うと、何でこんなことやってんだろう、受かっちゃったからしようがないか、お金も先立つものがないとだめだから、ま、やっとくか、みたいな。でも、絶対おれは歌手になりたいと思ってね。演劇の素晴らしさ、奥深さがまだわからなかったんですね。でもね、石の上にも三年と言いますけど、やっとこの一、二年「やっぱり芝居もおもしろいな」と思うようになりました。今、演劇は演劇で貴いものが自分の中にあるんですけど、歌が好きですから、「職業は」って聞かれたら、僕は「歌手です」と答える。自分のこだわりです。ミュージカルやっている人は、たいてい俳優なんです。歌が歌える俳優がミュージカルやってる、というのが多いんです。ぼくは芝居のできる歌手でいたいですね。結果が同じなら成立すると思いますから。
トークも楽しみに
−−きょうはいろいろとありがとうございました。二月二十九日のコンサートを楽しみにしています。
石井 母校の集まりで歌えるというのは、恥ずかしいけど最高に嬉しいです。みんなぜひ来てください。昔話に花を咲かせましょう。八十三期のみんな、よろしく頼むよ。
沢 私も八十七期のみなさんよろしくね。
石井 ほんとうに、沢さんとご一緒できるのが楽しみです。当日はカジュアルな中に、あったかいぬくもりがあるようなコンサートにしたいですね。ね、沢さん。
沢 そうですね。トークも楽しみにしてください。
いしい かずたか
一九六八年生まれ。九〇年、上智大学外国語学部スペイン語学科卒業。
オーディションに合格し、九二年にミュージカル「ミス・サイゴン」にGI役で出演、その後、「レ・ミゼラブル」「シンデレラ」「アイリーン」「ロス・タラントス」「カルメン」などに出演。NHKテレビ、「ときめき夢サウンド」、フジテレビ「29才のクリスマス」に出演。ライブ活動も九四年から数回開催。
九九年には初の自主制作CD“Heart
& Soul
Cafe”を発売。
さわ ともえ
一九七一年生まれ。母は韓国人で、母方の祖父は韓国で文化勲章を受章した文学者の金素雲。九五年、東京芸術大学音楽部楽理科卒業。
九一年、シングル「愛は風のように」、ファーストアルバム“Tomoe
Sings”でデビュー。CDシングル、アルバム合わせて十一枚、FM放送でDJ、NHK教育テレビにレギュラー出演。九八年に韓国光州でライブ、日本国籍を持つ者として初めて公式に日本語で歌う。同年日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。
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